うたかたおもひ -2ページ目

『藍の空、雪の島』 * 謝 孝浩

著者:謝 孝浩
タイトル:藍の空、雪の島

生き抜くということ。


そのことについて教えられた作品。


ポル・ポト政権カンボジア

少年期を過ごした男の子の物語。


図書館で背表紙を見たとき、

ふと、手にとってしまいました。

なにも考えずに借りた、この本。


開けば、

そこにはわたしが知りたかったことが書いてありました。


卒業論文のテーマを

カンボジアに見据えたわたしにとって、

この一冊と出会えたことはなによりも嬉しかったです。


わたしは、

日々を暮らしてはいれど、

日々を生き抜くということを知らない。

知らなかったんだ、と気づかされる。


ごはんを食べて

あったかい布団で眠って

そういう、日本むかし話のエンディングの曲みたいな

そういう当たり前のこと。


いくら、授業や教科書で習ったって

わかっているつもりでも、

なかなかしみこんでこない感情。


それがこの本には書いてありました。


少年はいくつもの偶然に助けてもらって

しっかりと生き抜きます。


でも、現実には

そうならなかった少年何万人もいたんじゃないだろうか。


アソックという少年が登場する。

彼のことを思うと

もう、どうしていいのかわからなくなる。


いくつもの矛盾を抱えて。


を守ろうとした結果、

愛を失ったり

愛を壊してしまったり。


いくつもの矛盾を抱えて。


信じた道を歩んで

信じた道を踏み外すんだ。


いくつもの

いくつもの矛盾を抱えて。


ほんとうに

神様がるのなら

世界はどうしてこんなに矛盾にあふれているんだろうか。


それを神様のせいにしてしまいたい

わたしは

なによりも卑怯で矛盾を抱えているんだ。


夢を見るにもほどがある。

私は馬鹿だ。

ぶっ殺してくれ。


ラスト3行は引用。

 毎日新聞 「想い事。 」より Cocco


『倚りかからず』 * 茨木 のり子

著者:茨木 のり子
タイトル:倚りかからず

この年になると、

先生人間なんだと知ってしまっている。

先に生まれた人たちは

それはもうみな反面教師として

堂々とその人生を見せてくれてはいるけれど。


説教することはあっても

説教されることはほとんどなくなってしまった。


怒られるってそうそうない。


説教されても、

こころのどっかでヒネクレテイルわたしは、

もう、どっかで素直に助言を受け入れることが出来ずにいる。


このままじゃあ、

一生ヒネクレ者だ。


そうだと、困る。


そんなときに、

絶対的な先生に説教をお願いすることにしている。


茨木のり子さん。


この人には、

一生かなわない

勝手にそう敬ってしまう人


今年の2月

お空の住人になってしまわれたけれど、

先生の言うことは、一生涯こころに留めておきますので、

どうか、どうか、

こんなに情けないわたしを見守ってください。


最近、ずっと雨空

わたしの素行がいい加減なのを見透かされているのかもしれない。

そういう、戒めだな。


ね、先生。


苦しみの日々 哀しみの日々


苦しみの日々

哀しみの日々

それはひとを少しは深くするだろう

わずか5ミリぐらいではあろうけれど


さなかには心臓も凍結

息をするのさえ難しいほどだが

なんとか通り抜けたとき 初めて気付く

あれはみずからを養うに足る時間であったと


少しずつ 少しずつ深くなってゆけば

やがては解るようになるだろう

人の痛みも 石榴のような傷口も

わかったとてどうなるものでもないけれど

      (わからないよりはいいだろう)


苦しみに負けて

哀しみにひしがれて

とげとげのサボテンと化してしまうのは

ごめんである


受けとめるしかない

折々の小さな刺や 病でさえも

はしゃぎや 浮かれのなかには


自己省察の要素は皆無なのだから


(茨木のり子 筑摩書房 「倚りかからず」収録)



はい、先生

今日もお説教、

有難くお受けいたします。

『まっくろネリノ』 * ヘルガ・ガルラー

著者:ヘルガ=ガルラー
訳者:やがわ すみこ
タイトル:まっくろネリノ

わたしがだいすきなブログ

この絵本の紹介がされていました。


なんか、見覚えあるなー。

しかし、タイトルはまるで記憶なし!


その翌日、さっそく図書館にて検索。

手にとって、半信半疑で帰宅。


その日はたまたま、

いつもは居ないが帰ってきていて、

もそろったところで、

この絵本を登場させたところ。


兄も母も大声をあげて、

懐かしーーー!!


やっぱり、そうだ。

わたしが小さい頃に散々読んでいたあの絵本。

内容もタイトルも全部忘れていたけれど、

すてきな配色は忘れられない。


懐かしくて、が出そう。

でも、涙はそれだけではないかも。

物語の内容がシンプルにずしんときましたよ。


ラストのページに作者の紹介がありました。

わたしは、そこにもこころが動きましたよ。

訳者である、矢川澄子さんによる文章なんですが、

冒頭からして、これ。


この絵本をかいたヘルガ=ガルラーさんは、

1939年オーストリアのウィーンに生まれた、

たいへんきれいなおねえさんです。


きれいなおねえさん。


といって、この作者の写真が挿入されています。


たしかに、美しい!

この紹介がなんともほほえましくって、

読んだかいあるなーっていうたのしい気分になりました。


ネリノ、いい名前。

それにしてもネリノはやっぱり鳥だったんだね。

ネリノ、黒だって、立派にかわいらしい!!

イエローナイフ、行ってきました。

GW明けから、

もうずっと夜の天気が悪いのです。


星といえば、

雲と雲の間から

メガネはずしたときみたいに

うすぼんやりとしたお月さんだけ。


うちの家の前には

道路を挟んでコンビニだの

牛丼屋さんだの

24時間、煌々としています。

だけども、

あくまでも田舎なので、

それでもそれなりの星が拝めるはずなのに。


もー、我慢できません。


カナダはイエローナイフに行ってきました。

北の最果てでみた、

ゆるやかな星空。

森の香りと一緒にふぁ~んとリラックス。

おまけにオーロラまで、みてきましたよ。


写真


って、これ全部、池袋のお話。

実際のイエローナイフは、

きっと遠くて遠くて行けないね。


プラネタリウムに行ってきました。

月曜日だってことで、

ガラガラかと思ったけど、

思ったよりも来客数アリ。


ほとんどがカップル、

(若者と老夫婦など)

わたしはひとりで行ったんだけど、

60歳くらいの女性や

リクルートスーツの女の子がひとりで来てました。


何回か前までは

Star Light Healingという名前のプログラムだったのですが、

たぶん制作会社が変わったようで、

なんだか安らぎ感がダウン・・・。


以前は音楽や香り、

使われるテーマの写真にもかなりチカラ入ってましたし、

なにより演出がよかったのですがね・・・。


2年くらいにみた、

高砂淳二さんの写真集

night rainbow 祝福の虹 』との
連動企画など、
ほんとうに最高だったのになぁ・・・。

サンシャインは無茶な風景

続く道にあって、

もう、なかなか行く気を起こすのが困難になりそう。


それでも、

真っ暗闇に偽物と知りつつ

光を求めて通いそうなわたし。


こうなりゃ、

ホームスター買って

フレグランス焚いて

音楽選んでひとりのため

プラネタリウムをやるしかないかな~。


でも、それって、かなりイタイ気がする。

でも、わたし、やりかねない・・・。


『砂漠』 * 伊坂 幸太郎

著者:伊坂 幸太郎
タイトル:砂漠

今、一番直木賞に近いはずの作家が

青春小説を書いた!!

それもあの『チルドレン』の作家!

となってはもう、読まないわけにはいきません。


以前、読んだ『死神の精度 』のときにも触れたのですが、

わたしは彼の『チルドレン』という小説がだいすきなのです。


舞台は仙台

国立大学生の4年間。


ダイジェストのように四年間をまとめているので、

なんだか全体的に色素が薄い感じにしあがっています。


タイトルの『砂漠』にまつわるエピソード

もう少し踏み込んでもらえたら嬉しかったです。


軽めに軽めに進んでいって

時に語り口調は村上龍の『69』のよう。

なんてことはまるでない。

いや、あるよ。


こんなに色薄なのは、

なんだろう?と考えてみたら、

青春に必要な切なさが足りないのでした。

かっこわるさ

惨めさ

ダメな感じすべてをひっくるめての

切なさがこの小説には足りてなくって、

青春のあの色鮮やかさが欠けてしまっているのです。


ちょっぴり残念


その中でも唯一よかったのが、

主人公のおともだち、西嶋くん


わたしの中では完全に

カーティス・メイフィールドやジョン・レノンに向かって

そのぬくもりに用がある!!」って

ギターかきならしているあの人



目より耳。

を瞑っているときに

するりに入り込んでくるがあります。


わたしは目よりも

を重視に暮らしているように思っています。


絵画をみたり

を読むことは

とてもとても好きなのですが、

には敵わないのです。


ふと目を瞑ったときに

キャッチしてしまう

水の音だったり

誰かのだったり。


おとといも、

目より耳だな

と感じたことがありまして、

今日はそのお話。


を向いて作業していたのです。

何かメモをとっていたうな

キッチンにいたような

とにかくその時なにをやっていたかは

今はもう、すっぱり忘れてしまいました。


TVをつけっぱなしだったのです。

人が散々に話している番組で

神経を集中させていなかったのと

それが民放であったため

申し訳ないけれど

わたしの耳には雑音として届いていました。


耳でキャッチした音は

がちゃがちゃ


だけど、

そのがちゃがちゃが突然ぴたりと止まったのです。


背中を前へ前へ押し出すような

風が吹いたかのような、

歌声ひとつ。


木の楽器を連想させるような

ぽっこりした声。


思わず顔をあげてしまいました。


スタジオジブリの

最新作、ゲド戦記のタイアップCMでした。


びっくりしてしまって。

風吹いたーとひとりでぞくぞくしてしまいました。


今夜、

もののけ姫をTVでやっていたとは知らず、

11時半くらいにTVをつけたらば、

ゲド戦記の長い予告を見ることができました。

予告はコチラでご覧になれますよ。

写真


この歌のために、

観にいきたいって思ってしまいました。


観るまでは

耳をふさいでおこうと思います。

先にいろいろ情報をいれてしまうと、

その情報の確認作業のような鑑賞スタイルになってしまいそうなので。


まるで関係ないけれど、

近々星を観にいこうと思ってしまったのです。

なんだろう?

歌のチカラなのか、なんなのか???

最近、夜空は曇ってばかりだからね。

星が恋しいのです。



『完全版 マッドメン』 * 諸星 大二郎

著者:諸星 大二郎
タイトル:マッドメン 1―オンゴロの仮面 (1)

厳密には上のイメージとは異なります。

 わたしが、読んだのはちくま文庫から出ているものです。

先月、遊びに行った友人宅の本棚より

拝借してきた作品。


友人いわく、

なんかなー、

日本の古来の伝説とな、

ニューギニアの伝説とがな、

ダブってくんねん。


みごとな解説


まさにそのまんまでした。


天石屋戸(あまのいわやど)、

天照大神(アマテラスノオオミカミ)、

イザナギイザナミも。


果てには、

ノアの箱舟の伝説にまで。


各国の神話は、

どれも興味深いものばかり。


あの世界観を

漫画ひとつにまとめるのって、すごい!

やっぱり漫画は

もっと評価されるべきですって。


これを機に

ゆっくり古事記など

読み返してみようかしら・・・。



『きいろいゾウ』 * 西 加奈子

著者:西 加奈子
タイトル:きいろいゾウ

たまんない。


この作品は

とてもとても

たまらんかった。


たまらない、って使い分けることの出来る言葉。

disgusting・・・の方と

feel so nice・・・の方。

広辞苑の例文をここで紹介してみると、

この暑さではたまらないな」・・・

湯上りにビールときてはたまらない」・・・


さて、この本はどっちだ???


答えは、

わたしの中の答えは、

どっちもでした。


小説を読むと

作品世界に没頭すりゃいいのに

どこか自身のエピソードとくっつけたがる傾向がわたしにはあります。


そういった意味で

身につまされたりして、キリキリきてのたまらなさ。


完全にわたしの主観ですが、

以前読んだ作者の「さくら 」もよかったのですが、

小説としてはこちらの方が断然おもしろかったのです。

話がスマートになっていて。

そういった小説としての

のびのびとした面白さのたまらなさ。


両方もちあわせているこのお話。


内容は説明しません。

そういう小説ではない気がしますので。

解るというよりかは感じる小説です。


人が自分から離れようとしているとき

物理的な距離ではなく、こころ

その心理感覚をすごく巧く捉えていて、

そこの描写でこころが痛くなった。

電車内で細々と泣いてしまいました。

泣くというよりは、

涙あふれてこぼれるといった感じ。

電車で泣くとひとりぼっち感が増して、

どうしょうもない気分になってしまいました。


哀しいときほど

泣けなかったり

つらいときほど

涙はでなかったり、

そういうことが自分と一緒すぎて、

この小説は怖いよーとすら思いました。


作品そのものもすごくよかったですが、

この物語を紡ぎだした西加奈子という人に

つよく興味を持ってしまいましたよ。


この人とは

どっかのうまい焼き鳥屋さん

ビール飲みながら

わたしの人生のダメ出しをして欲しい・・・(笑)

なにかそういう対極さを感じてしまいました。


すごーく、いい小説でした。



ぐーぐーぐー!

調子、悪いんです。

悪かったんです。


体調というよりは、

精神世界のおはなしですよ。


頭ん中で、

いろんなコトバ

ぐあーぐぁー

しゃべる、しゃべる。


うるさいのだ。


そのせいで、

お風呂から上がるタイミング

眠るタイミングがわからなくなるという現象が発生。


ラジオとか

CDとかをかけていないと

自分の言葉たち

勝手に頭の中で暴走してる、

で、動きが止まってしまって、

風呂につかりっぱなし、

布団の中でごろごろ寝返りうちっぱなし、

エンドレス


普段はカラス以上に行水なくせに、

タラタラ1時間以上湯船に使ったりして、

気が狂うかと思ったさ。

のぼせる前に

頭の中がぐつぐつ煮えてんだー。


頭の右後ろで、

だれかが

誰かといわず、それはまぎれもなく自分自身であるけれど

ずとずっと

からまで

からまで

aからяまで

これは比喩。ロシア語なんて、知らないよ

ごにょごにょ言ってくる。


うるさい、うーるーさーいー!


穏やかに眠れなくなると、

目が覚めてもさっぱり眠った気にならない。

目が覚めても

それは昨日の延長のようで、

そういうのが延々と4~5日続いた。


吐きそうだ。

もちろん、言葉をね。

ゲロリとね。


原因がなんだとか

そういうのはどーでもいい。

安静に眠りたいだけさ。


答えなんてない

それは解ってる。

いつまでも

いつまでも

そうしているわけには

いかないのだよー、わたし!


と、気休めにも教えてあげたら、

きのうはコロンと眠れた。

わたしって、単純


今日だって、

自己暗示かけて、

ぐーぐーぐー!


だって、

それでも毎日を暮らさねばならないのだからね!


I'm home !

本物の家族ではないけれど、

準家族の人たちと飲んだ。


それは、昨日のお話。


高校時代の部活仲間と

久しぶりに一堂に会する機会が設けられ、

そこにひょこひょこっと顔をだしてしまったのです。


実に5年ぶりだったりとか

そのようなスパンをおいて会う人ももちろんいるわけです。


でもね、不思議


5年ぶりっていうのはまるで嘘みたいに、

昨日おとといも会ってたように

そして、明日あさっても当然また会うかのように

するりとなんの緊張もなくお話することができるのです。


どこでどうやって覚えたんだっけ、あのコミュニケーション術は。


普段はどうしょうもないほど、

巧くないそれを、

5年の年月をなんにも厭わないでクリアできる

その身軽さ。


それって、家族みたい。


8年ぶりに電話で話したイトコ

すんなり普段の仕事の労をねぎらったり、

カラダを心配したり、

おせっかいにも色んなことにつっこんだり、

そういうふうにできることとすごく似ていました。


男の子だろうと

女の子だろうと

年上だろうと

同じ年だろうと

年下だろうと、

同じようにみんな愛おしく思えて、

会ってすぐ無条件で笑顔になれる。


変だね、変。

そんなのって、

絶対の絶対になのだ!


何はともあれ、

たくさんの人から

ぐんぐんエネルギーを貰って帰ってきたわたし。

明日もそのエネルギーを使って、

もうちょこっとがんばらなくっちゃ。